げろ
身の上話なんて他人にするものじゃない 心を許されたつもりでも、言ってしまえば 「重い」「不幸自慢」「背負いきれない」と言われた 1人にだけだったけど、すごくすごく大切な人だったから
ずっと心に残ってるし今でも許せない
だからもう誰にも深い話を一対一でできない けど聞いてほしい 聞いてほしいというか吐いてスッキリしたい だけ
だって、不幸なんて自慢できるもんじゃないのは分かってるしそんなつもりも無かったし、 私の育ってきた環境感じてきた感情たちを、 「私」のことを紹介したつもりだった 私が心を許した人だったからこそ隠さないで言いたいと思った
最初は大変だったなと聞いてくれたし 言って楽になるなら聞くからと言ってくれた 初めて包み隠さず自分の話が出来て嬉しかった それに甘えてしまった自分がばかだった
普通じゃないんだ、自分の経験は「重い」もので 「不幸自慢」で「背負いきれない」ものなんだ そう分かってからもう何も話せなくなった
誰にも言っちゃいけない人生なの? 大切な人にも隠してうそをつかなくちゃいけないの?
じゃあもう、不幸自慢でいいから聞いてほしい ずっと自分の中に秘めたせいで限界がきて 爆発して今こんな病気になっちゃったんだから せめて発散させてくれ
一対一で誰かに背負わせるのは怖いから、 これを読んだ人が各々 共感するのか、同情するのか、 物珍しく感じるのか、良くある話だと思うのか、 関わっちゃいけない人だと感じるのか、自由で、 「お姉さん、メンヘラでしょ?」と イベントでふらっと私のブースに寄ったおっさんが言い放ったりするけど 私にぶつけずに胸に秘めといてほしい どう思おうが自由だから言わないでおいて、距離とってくれればいい
うつになってから人間関係が本当に億劫で 億劫というか、そんなレベルじゃなくて、 対人はもちろん電話もラインも怖かったから携帯を見なくなった 病気を隠して仕事したり友達と会うのが辛かった 病気を話したら話したで気を使わせてるんだろうなと意識しすぎてうまく話せなくなった
友達に遊びに誘われても「体調悪くてごめん」しか言えなくて 毎回いろんな人に言うのが申し訳なくてしんどくて Twitterのリア垢に本当は言っちゃいけない 「助けて」「しにたい」とか書くようになった それ読んで心配してくれる友達もいた でも私は、全部どうにでもなれ、友達会えないいらない、 リア垢にこんなこと書くやばいやつって察して絡まないでくれと思ってた でもリア垢消さないあたりどっか繋がっていたかったんだと思う それでもメッセージくれる人、遊びに誘ってくれる人、イベント来てくれる人、 会えるかは別としてありがたかった 病状を知ったうえで気にかけてくれる友達は大切にしないとと思った
SNS更新しないとフォロワーはぐんぐん減って作家として忘れられてしまう焦りもあって 浮かぶ言葉は「つらい」「しんどい」「逃げたい」「助けて」「死にたい」とか暗い言葉ばっかりで 結局絵もつぶやきもあまり更新できなくて なにか描いて上げなきゃ、って どん底の時に泣きながら腕を切りながら描いた絵ばっかりいいねが多くついて、なんだか素直に喜べなかった
なんでこんなに絶望してるのか なんで誰にも助けを求めないのか だって両親に心理的身体的に虐待されて きょうだいに性的虐待を受けて それをすっぱり忘れて生きていけるならそうしたいけど 今でもずっと忘れられず許せず苦しんでいる
両親には虐待をしたという自覚はないみたい たしかにグレーゾーンかもしれない
私の幼少期は確かに愛されていた記憶があるし 飯も食わせてもらって布団で寝かせてもらえてた こども2人とも希望の私立の美術の高校に行かせてくれて、 両親は仕事を増やし母は弁当を毎日作ってくれた
でも 両親は私を殴ったことも浴びせた言葉も覚えていない 私の被害妄想とか記憶違いと思っているみたい お前は嘘つかない素直な子だといつもは信用してくれる両親だったけど、 この時ばかりは信じでもらえなかった
妄想や記憶違いでこんなに十何年も悩まされない
何回も話し合ったけど分かりあうことができなかった きょうだいも両親に虐待されていたけど 私は下の子で女だったから父には可愛がられた
それに何回も警察にお世話になるような問題を起こすきょうだいを反面教師に、私はずっといいこだったと思う 両親が私に、きょうだいの愚痴をこぼすとき、優越感があった、私はいいこだったから 父が母やきょうだいをボコボコにしているとき、私は止めに入らず逃げた 父が母の愚痴を、母が父の愚痴を言うとき、よく聞いてやった うまく生きてた、と思う
でもいくらうまく生きていた気になっても 勉強を部活を絵を頑張っても母は褒めてくれなかった きょうだいの方ができる、と言った きょうだいに子供の頃された事が大人になってつらい、と母に打ち明けた時も 「こどものころの話なんだから…」となだめられた こどもの頃の私に「かわいくない」「死ね」「産まなきゃよかった」と言った 今更「かわいいね」「愛してるよ」と言われても信じられない
父は私を殴った後必ず優しかった それをだんだん不信に思った 私は意見を言っているつもりなのに文句を言うなと抑圧された なにも自分の考えが言えなくなった 機嫌が悪いと別人だった、常に顔色をうかがってパパっ子の娘を演じた 優しい時の父は好きだった
きょうだいはずっと家を出たがっていて 上京したいからと言うのでお金を貸した その後音信不通になった
両親にもお金を貸してた 高校でバイトを始めてから家出るまで定期的に 実家に住まわせてもらってるからと思ってたけど 少なくはあったけど高校出てからは家にお金も入れていたし 使い道も納得できるものではなくて 毎月毎月給料日に10万とかポンポン貸したくなかった 実家にいても一人暮らししても金貯まらないんじゃ一人がいいと思って部屋を借りた 結局すぐうつ病になって実家にお世話になることになったけど
ある日音信不通だったきょうだいが自殺未遂をしたと警察から連絡が入った 「どうしてそんなになるまで言ってくれなかったの」と母はきょうだいに泣きながら話していた とても羨ましかったし、私も助けを求めてもいいんだと思った だから自分の家に戻って、死にたくて死にたくてどうしようもなくつらくなった時、 すごく緊張したけどはじめて母に「つらい」と電話で助けを求めた
「そんなの私もつらい、お前だけじゃない」と言われた なんで?なんで?なんでなんでなんで??なんで私だけ? 警察にお世話になったこともないし学校に呼び出されるようなこともしたことないし 部活も漫画も絵も頑張ったし賞もとったし高校からは勉強も頑張ったのになんで かわいくないから? 大人の言う、可愛げのない子供だったから? 頭が真っ白になったあと、そんなようなことを考えた
その日に初めて、腕をカッターで切った、同時に過呼吸になっていた 「私が死んだら一生後悔するだろうな」なんて事考えてたけど死にたくなかった、 生きるために自分を保つために切った 痛みはなかった、流れる血を見て少し落ち着いた
色々あって家族に自傷がばれて、みんなにやめろを言われて刃物を隠された 私は「生きるために切ってるのに、死ねって言ってるのか!?」と ヒステリックを起こして隠したカッターを返すよう懇願した 所持金1000円ほどの私がコンビニで買った400円のカッターだった 私の大切なお守りだった うつになって初めて、叫んで喚いて今までの辛かったことを両親に話した ただそこで話し合いをして、本当にこの人たちとは分かり合えないと分かった 今まで持っていた「分かり合えるはず」っていう少しの希望も捨てることができた
私の父は虐待されて育った そんな両親許しちゃったの?と聞いたことがある 父曰く「直接謝罪されたことはないけど、俺が大人になってから、 ずっと申し訳なさそうな態度でいるから、憎んでないよ」だそうで お前が、許すから、今、虐待が、連鎖してるんだ、と、腹が立った 実際私が今大人になって、 父は殴ることも怒鳴ることもなく、大人しくなった 今までだったら確実に怒っていた事で怒らなくなった でも私は許せないし忘れられない 過去がなければ今の父は大好きだけど 一生分かり合えないし、このまま表面上仲のいい親子が一番いいと思った
きょうだいに、「お前にされた事辛かったよ嫌だったよ」とは面と向かって言えないけど、 当時お付き合いしている人に打ち明けて性行為がつらいと伝えたら 「それは俺関係ないよね?なんでできないの?」と言われた 彼は私の父に似ていた感情で動く人だった あとで謝ってくれた 普段はとても優しかった 一緒にいて自分が辛いのが分かっていても好きだから別れられなかった そして私の夢である妊娠出産も、 婦人系の病気のせいでできないかもしれない、 もしこどもができても同じく虐待してしまうかもしれないと思うと怖くて悲しかった 恋愛だってできる気がしないししたくなかった 人に愛情をあげられる自信も余裕もないし 持病も自傷も人生も受け入れてくれる人がいるとは思えなかったから もうぜんぶ嫌だった
ここまで大好きな人たちにそんな扱いを受けると さすがに自分に原因があると思う 思ってしまうけど やっぱりどうしても、 殴られて怒鳴られて辱められて自尊心をズタズタにされても当然なほど悪い事を、私がしたとは思えない きょうだいが殴られるのは「人に迷惑をかける悪いことをした時」だったけど、 私の時は「かわいくない」だった どうしたらよかったのか
毎日、 階段ダッシュした後みたいな動悸と、 漠然としたそれでいて巨大な不安感、 不意に来るトラウマのフラッシュバック、 体のムズムズと手汗足汗が止まらない焦燥感、 叫ばずにはいられなくて誰かに殴り掛かりたくなる程のイライラを ただじっと耐えるしかなかった
今までの経験から、親にもきょうだいにも親しい人にも誰にも頼っちゃいけないと思った
病気になる前は考えたこともなかったのに、ずっと頭に「死」がついてまわるようになった 喩えでもなんでもなく、文字通り血と涙を流しながら絵を描いた 働けなくてお金がなくて病院に行けなくなって保険証も無くなった 1日1度くる自殺衝動は、3階の自室のベランダに出て、 死ぬの怖いぞ痛いぞと繰り返し頭の中で唱えて、 もし飛び降りたって3階じゃ確実に死ねないから救急車で運ばれて治療代が高くつくぞ と考えて保険証がないことがいい抑止力になっていた でももうそろそろ本当に限界だと思った 限界 でも死ぬのは怖い ただ生きていたくない 楽になりたい
そんな時憧れの作家さんとダイレクトメッセージでお話させて頂く機会があり、 「生きて」と言って頂けて、とても救われた
同時期、ある友達から連絡があった 「ご飯食べに行こ、個室予約したから」と 私の近況を聞いて、本当に心配してくれて泣いてくれた 車で迎えに来てくれて、ご飯を奢ってくれて、 家まで送ってくれて、私が車を出た後、 開けた窓から身を出した彼女が「こっち来て!はいこれ」と お金を握らせてきた、すごく驚いた 返す余裕もなく「返さなくていいから、これで病院行ってね、ばいばい!」と車を走らせて帰ってしまった
その後罪悪感でしばらくプチパニックになったが、 彼女の好意を行為を素直に有難く受け止めることができて こんなに私を想ってくれる友達がいるなんて、と涙が出てきた
こういうことがあって、生きなきゃ、と思えて、 保険証を作りに行って、友達が握らせてくれたお金で病院に再通院を始めた また生きてくことができた 感謝してもしきれない 「返すからね」と言ったものの返す当てもなくて私はやっぱダメ人間だ、とか思ってしまうけれど いつか絵で有名になって倍にして返そうと思っている 思うだけなら簡単だ、生きて病気を治して絵を描かなければ
そんなこの文章を打っている今、ちょっと鬱が悪化してて、 風呂も入らず飯もろくに食わず絵も描けない病状になっています 6月に入ってバイトには2度行けたけど、毎回何故か片耳が聞こえなくなって家に帰ると治ります 昨日も過呼吸になって大泣きして腕を切って睡眠薬をたくさん飲んで、 起きだしたら何もせずぼーっとするだけ 今がそんな時期なだけ、梅雨だし、寒暖差も気圧差もえぐいし、 大丈夫、大丈夫 気にかけてくれている人がいるって分かったから大丈夫 私は死なない大丈夫
はやく元気になって 絵たくさん描きますね 個展まで がんばります