半熟なおとめたち
2019年8月30日(金)~9月4日(水)
東京、デザインフェスタギャラリー原宿様にて
自身初の、念願の、個展
「半熟なおとめたち」
を開催致しました
ギャラリーのスタッフさんが記事にしてくださいましたのでこちらも見てみてください🐷!
ギャラリー自体は29日からお借りしていたので、
29日は まるまる搬入と設営に費やしました
重い荷物いっぱい東京に運んで設営やった時点でちょっともうやり遂げた感が既にあって、明日から6日間ここに9時間以上いるのか…マジか…できるのかな…って前日になってプチ絶望に襲われていました
設営中はああしようこうしようと黙々と集中してやってたので緊張してなかったんですが、終わって帰路について一息ついた途端緊張してきちゃってまじでずっとゲロ吐きそうになってました
東京に住んでいるきょうだいのお家に滞在させて貰えることになっていたのですが
何年かぶりに会ったのにその日ずっと「ゲロ吐きそう」しか言ってなかった気がします
30日、個展初日
早起きして、化粧がっつりキメて武装して、駅でめちゃめちゃ迷いながらギャラリーについて、設営調整して、めっちゃドキドキしながら臨みました
本当に人来るのかな…?ってずっと思ってたんですが、オープンと同時に何人かの方がギャラリーに入ってきて、ひゃ~~となりました
人、来た~~~~~~!!って頭の中ワッショイワッショイで十分嬉しかったのですが、時間が経つにつれて人が増えてきて、びっくりするぐらい増えてきて、自分が立てるスペース無いから外に出て遠くから会場を見る場面もちょこちょこありました…本当に嬉しかったです…
6日間通して、自分ひとりだけっていう時間がほとんどなかったです…
すごくびっくりしました…まじ…?って感じでした…
初めて、個展を開きたい!って思ったのが、高校2年生の頃で
ほかのブログ記事で書いてるので毎回くどくて申し訳ないんですけど、
私はもともと少女漫画家を志していました
物心ついた時から絵も漫画も好きで、
毎日毎日描いていました
小学2年生でもうペンだこができるくらい、今日描きたいから!と言って学校を休むくらい、大好きで大好きで楽しくて、ひたすら描いていました
高校も美術デザイン専門の学校に行って、漫画コースを専攻しました
そんな自分が高校1年生から2年生になる前の春休みに、
漫画が描けなくなって、それどころか食べたり寝たりとかいう普通の生活が出来なくなって、絵すらも描かなくなりました
心の中はこんなに暗くてドロドロしているのに、もうキラキラした少女漫画なんか描けないし描きたくないと感じ始めて、でも自分は漫画を描きたくて望んでわがままを言って私立高校の漫画コースに進んで、今更やめたいなんて言えない、と抱え込んで、高3までの辛抱だと無理矢理漫画を描いていました
そんな時に、出会った絵があって
心が震えました
衝撃でした
うわなにこれ!?すげえ好きだ!!ってすぐに保存しました
見つけたのは無断転載されたもので作者名も描いておらず、この絵はどんな人が描いてるんだろうともやもやしていたのですが、それから1年ほどしてたまたまその絵をTwitterに掲載している方を見つけました
うわ、これ、作者さんだ!!見つけた!!!
他にいっぱい絵もあげてる、顔出しもしてる、男の人だったんだ!
えっ… この人、絵で、生活してるの?
衝撃でしたまたもや衝撃でした
その方は個展を開いたり、
アートイベントに出展したり、
オリジナルグッズを作って販売したり…
絵、一本で生活していました
その方の作品も生き様も、まっすぐであまりにもまっすぐで、
今までの周りからの期待の目だとかは気にしなくていいんだと、私のカッチカチに固まったこれはこうあるべきっていう固定概念だとかそういうものをぶっ壊してくれてくれました
マイナスな感情も恥ずかしい部分も全部さらけ出していて馬鹿みたいに格好良くて、
私にとって生まれて初めての「憧れの人」でした
それから絵が描けなくなっていた私も、
親や友達からの期待に応えられる様にだとか、読者にウケる様にだとか、そういう風に描くのやめよう、好きなものを描いていたい、描いてもいいんだと思えるようになって
連作を描き始めました
暗いのも恥ずかしいのも頭に浮かんだ意味のない言葉も全部、コマ割りも決まりなんてなくていいこれは漫画じゃなくて絵なんだから、好きなように思うがままに描こうと思って、生まれたのがこの1枚でした
長くなるので、連作についてはこちらを読んでね!!
100枚描く!
100枚描きあげたら絵の戦闘力も知名度も上がっているだろうから、
そしたら東京で、憧れの方と同じ舞台に立つ!
個展を開く!絶対開く!
と、人生の目標を決めました
周りに言ってはいなかったけど、知名度の目安として、
Twitterのフォロワーさんが1万人超超えたら個展やると決めていました
というのも、私の高校の先生方は全員作家としても活動していて、
定期的に個展を開く方も多かったのですが、
生徒は空気的に強制参加、会場に行くと知った顔ばかりで、
大人キライキライのクソガキだった私は、「知り合いばかり呼んでそれ個展開く意味あるの?嬉しいの?個展だからオナニーでいいんだけど、オナニーにも程があり過ぎない?自分の作品を好きで、かつ自分は知らない人、が来てくれなきゃ意味無くない?」と思っていました、クソガキ
そして高校3年の進路相談で、担任の先生に「私本当は漫画を描きたくないです、絵を描いて生きていきたいです」と伝えた際
「個展なんかお金を払えばいつでもできる、お前は今高校生にして漫画家に近づいてるんだよ、すごいことなんだよ、すごく勿体ないよ、とりあえず漫画家になってみてもいいじゃないか」と返されて、頭に来ました、すごくクソガキ
確かにお金を払えば個展なんて誰でもできるけど、
知り合いしか来ないような個展は、
知名度が無くて毎日暇な個展は嫌だ、
憧れのあの人みたいに、私も絵で生きたい、
知らない人たちに絵を見てもらいたい、
絵を好きになってくれた人がわざわざ足を運びたいと思ってくれる個展を開きたい、と思って、それを曲げずにここまでやってきました
連作を描き始めて3年ほど経ち、今年の8月、
100番目の制作に取り掛かりました
その3年のうちに環境も体も色んなものが変化していろんな事を思いました
いろんなことがありました
うつ病になってもうすぐで2年、なんですが、
100番目を描いている最中が、その2年の中で1番症状がしんどかったです
3か月以上固形物を食べられない状態が続き、
点滴や栄養剤を打ってもらって、
体力は落ちて自力では歩けなくなり、睡眠も充分にとれず、
5日に1回は過呼吸、気を失って倒れそうになることもありました
毎日ばかみたいに泣いて
高頻度でパニックが襲ってきて、なんとかなだめて、耐えて、
死にたくなって死にたくなって死にたくなって、
どうしようもなくなって救急車を呼んだり
ベランダから何回も飛び降りようとしました
腕も何回も切りました
何回も死のうとしました
そして正気になった時に、このままじゃ本当に死んでしまうと初めて思いました
この病気って本当に死ぬんだと改めて思って危機を覚えました
その度に、「100を完成させるまでは、個展が終わるまで死ねない」と思い直してなんとか生きてきました
初めて命の危機を感じて一番つらかったんですが
同時に、この生きるのがメチャクチャ辛い状態で、この最後の100番を描くことになるなんて
最悪だけど、最高だな、この辛いの全部ぶちまけてやる、と毎日毎日キャンバスまで這いつくばって描いて描いて描いて描いて個展前ギリギリに描き上げました
こんなボロボロの状態で瀕死の中描き上げた100番が愛おしくて誇らしくて、完成が見れてよかったなと思いました
なのでというか、命削って生み出した作品なので、100だけはなんとなく、SNSに載せていません、べつに載せてもいいんですけど、なんとなく載せていません
1~99はここから見れます
そのうち連作の画集を作りたいので、個展に来られなかった方はそこで100番をじっくり見て頂けたらなぁと思います
一応20万円という値段もつけて販売はしていましたが、本当に欲しい方がいらっしゃいましたらご連絡いただければと思います
「最後まで余ってたら買うよ」「月〇万でいいなら買えます」とかは、ちょっと言わないでほしいです、自分が今絶対に手に入れたい、本当に本当に欲しいと思ったら、ご連絡ください
100番目の作品に限らず、
1から100までぜんぶ、命削って描きました
血と涙を流しながら描いたものもあります
きもちわりいかもしんないですけど、
重いかもしれないですけど、
私の分身のようなものなので、
作品たち大切にしていただけたらいいな
今まで絶対に表に出しちゃいけないと思っていた
行き場のない感情たちを、
これだけ命を削って描いてきたものたちを、
一枚一枚クロッキー帳から切り離して、額に入れて、
個展という舞台で全員に光を当ててあげる事ができました
個展に来て、
私と会って「本物だ」と泣いてくれる人がいました
一枚一枚時間をかけてじっくり見て「原画が見られて良かった」と泣いてくれる人がいました
「絵が自分の事のように思えて」と泣いてくれる人がいました
「夢を叶えるなんて本当にすごい、おめでとう」と泣いてくれる人がいました
「生きていてくれてありがとう」と泣いてくれる人がいました
泣いてくれたから贔屓してるわけじゃないんですけど、でもやっぱり衝撃で、
中には半熟おとめを知らずにたまたま来て、絵を見て感情移入して泣いていらっしゃる方もいて、自分の作品で行動で、人が泣いてしまうくらい心を揺さぶることができるのかと、すごく驚きました、すごくすごく嬉しかったです
感想ノートも、頂いたお手紙も、胸がいっぱいになる言葉ばかり書かれていて、
つい最近まで本当に死にそうだったのに、皆様の応援の力で、持ち直して、今しっかり地に足つけて立ってるな、という感じがしています
私の似顔絵も何枚か頂きまして、非常に心が温かくなりました、予想以上にうれしい…
カンパ箱もひっそり設置していたのですが、ぎゅうぎゅうにお金が入っていてびっくりしました…活動資金に充てさせて頂きます、本当にありがとうございます
差し入れもとんでもない量頂いて、お菓子たちは毎日ちょっとずつ食べています、私の血肉になっています、ラーメンとドクターペッパー大好物なのですごく嬉しかったです
あとホットアイマスクとか足スッキリシートとか、会期中あれがなかったらゾッとしちゃうくらい助かりました…
そしてコスメやアクセサリーをくださった方もいらっしゃって…大変恐れ多いです…
ぜんぶぜんぶ、本当に嬉しかったです、ありがとうございました…
すごくたくさんの方に来て頂いて、
実際に顔を合わせてお話ができて、
じっくりと原画を見て頂けて、
本当に、個展開いて良かった、生きてて良かった、と思えました
そしてこの初個展で
私の憧れの人が、見に来てくださったので、
本当に本当に嬉しくて、固まりました、
生きててよかったと、更に思えました
すごくないですか、私この方に出会っていなかったら、絵描いてなかったし、生きていたかも分からないし、何度も何度も救われて、憧れて目指して影響をうけて、そんな雲の上の存在の人が、自分の個展に来てくれるだなんて、すごすぎませんか
個展終わるまでは死ねない
個展終わったら死のう
と思ってたんです
会期中にも発作が出て知らない東京の土地でパニックになって、もう生きていけない、個展が終わったら死のうと本気で思いました、症状のひとつであるいつもの自殺衝動ではなくて、冷静に、自分の意思で、本当に死のうと思ってしまいました
なんですけど
また個展開いてねと
色んな方に言われてしまったし
またやりたいなと思ってしまったので
まだまだ生きようと思います
連作はひとまず描き終えましたが
これからも私は生きて絵を描き続けますので
是非見守っていただけたら幸いです
皆様のお陰ですごくすごく良い展示になりました
来てくださった方々
気にかけてくだった方々、
色んな面で支えてくださった方々、
本当にありがとうございました!!
これからも半熟おとめを!
よろしく!
お願いします!